台湾(タンデムの大賀氏による寄稿)

台湾への出張目的はSemicon Taiwan他の現場監理、そして提携先である台北の施工会社にCES等のアメリカ施工の部材供与を依頼していますがその製作基地の監理です・・・いいえ、“でした”。


コロナ禍で輸送費が2倍、3倍となり、高いアメリカの施工費を抑えるべく台湾で製作、輸送する選択肢はなくなりました。

展示台 made in Taiwan @ CES 2018

世界30ヶ国以上旅して、現場も10数か国経験しましたが、一番居心地がいい国は何といっても台湾です。台湾は日清戦争の勝利で日本の植民地になってから大東亜戦争に敗れるまでの50年間日本が統治していました。

日本は完全に持ち出しで台湾の為に尽くしました。台北に旧制台北帝国大学が設立されたのは大阪帝国大学、名古屋帝国大学より早かったのです。イギリスの統治とは真逆。
イギリスは教育を施すことが独立運動につながるということで、文字すら学ばせませんでした。今だ尾を引いていて、インドでは今日でも数字すら書けないタクシー運転手が多いのが現状です。


日本人は台湾、そして台湾人に良かれと思うことを全身全霊を傾けました。教育を施し、産業を興し、公衆衛生面の対策を講じ、共に成長していこうという姿勢で接しました。

30余年前、最初に台湾に行った時は、まだ日本語教育を受けた”臣民“が現役で中年以上の現役とは日本語が通じました(これは韓国でも同じでした)。彼らは我々日本人に対し、気恥ずかしくなる程絶対の信頼感を抱き,今日でも先人のお陰で尊敬されています。


東日本大震災等で、極端に多額の寄付してくれるのは台湾とトルコです(トルコが親日的なのは明治時代日本に派遣した親善使節団の船が和歌山県近海で難破した際、生存者を懸命に救助したこと、そして日本が日露戦争で敵国ロシアに勝ったことに依ります)。

台湾は臣民として生まれ育った内省人、戦後内戦で敗れ台湾に逃げてきた外省人に分けられ比率は内省人は約7割、外省人は約3割となります。その他前述の高砂族(約2%)がいます。

30余年前に台東(台湾南東部)の知本(チポン)に滞在した時のこと。知本は田舎町で、高砂族が多いところ。高砂族はそれぞれ言葉が違い、また台湾語が苦手な人が多く、驚いたことに共通語は日本語でした。看護婦になるためには共通語である日本語が必須。高砂族には知本で大変お世話になりました。

日本人は殆どいないので、私が日本人とわかると、部屋を提供して下さり、毎晩宴会で大歓迎されました。アミ族、ヤミ族、いろいろな部族と知り合い、親交を深めました。最初驚いたのはそれぞれの部族の人達のなかには太郎、花子等の名前が残っており、“どうして日本名を使っているのですか”ときくと、“今度また日本が侵攻してきてくれる、だから・・・”との返答もあり、絶句しました。

彼らからみると日本人は尊敬すべき人間で、内省人は高砂族を愚弄するので大嫌い、外省人はあまりの頭の悪さで侮蔑すべき人間でした。戦後外省人は内省人、高砂族も入隊させ、軍隊をつくりました。日本の教育を受けた内省人、高砂族は当然行進ができましたが、外省人は右、左の概念がなく、右に軍靴、左に足袋を履かせ、“軍靴、足袋!”と号令を掛け、行進の術を覚えさせられたそうです。

海外見本市を生業として何よりしあわせを感じるのは、現場で、そして仕事を離れた時、異文化に直接触れることができ、本では学べないことを沢山吸収できることです。これからも微力ながらも本業を頑張って参りたいと思います。そして合わせて異文化学習にも勤しんで参りたいと思います。

高砂族の人たち
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