ミツワ自動車(タンデムの大賀氏による寄稿)

1953年にポルシェ356の輸入で幕を開けたミツワ自動車(当時は三和自動車)、そのポルシェの輸入総代理店として名を馳せたミツワ自動車が昨年7月31日をもって、自動車整備及び販売から完全に撤退しました。万感の思いです。

ミツワ自動車はポルシェ輸入総代理店からスタート、1997年ポルシェのディーラーのひとつになり、それに合わせ他社の販売も行うようになり(サーブはそれ以前の1992-1996)、最終的には中古ポルシェの販売と整備に専念していましたが、今回このような結果となりました。

縁があって1989年頃からミツワ自動車のポルシェの国内のモーターショー、輸入車ショー、ショールーム施工、新車発表会等のお手伝いをすることになりました。カタログ等の翻訳も任せて頂けるように。

あこがれのポルシェの仕事を通じ学んだことは、今日に至るまでいろいろな意味で肥やしとなっています。当時は同社の広報からお仕事を頂いていましたが、彼らのポルシェに拘る姿勢は物凄いものがありました。例えば、自動車雑誌の最高峰、CARグラフィックの表3(裏表紙の裏)に1962年から掲載していた広告、一流のコピーライターを使い、ポルシェの存在感を高めました。 


“ポルシェはスポーツカーをつくりません”のキャッチコピーは圧巻でした。フェラリーと違い、荷物もある程度積めるし、デイリーユースの車として故障の心配なく毎日乗ることができるという意味です。

その他数々のキャッチコピーも、本当に印象深いものでした。弁護士も雇い、ポルシェが勝手に他社の宣伝等に使われることを監視し、法的に規制していました。ポルシェの価値観を高める手立てをみていて本当に勉強になりました。あの少人数で、仕事の運び方は大手広告代理店並みのクオリティでした。

広報の方とは本当に信頼関係を築き上げることができ、いろいろな話を伺うこともありました。今でも活躍しているロートルの美男俳優はクリーンなイメージで売っていますが、実はポルシェ乗りの頃、ミツワ自動車に難癖つけ、整備費用を払わなかったとかいろいろと興味ある話も教えて下さいました。

ドイツの本社Porsche AGにも広報の方と何度か打ち合わせに同行し、本社の広報の方とも親しくお付き合いさせて頂きました。仕事の後でも一緒に食事をしたり、飲みに行ったりして親交を深めました。日本でも東京モーターショーの度に10日間位アテンドし交歓して参りました。

その関係が変化したのは1995年のこと。Porsche AGはポルシェジャパンを設立、1997年ミツワ自動車は自動車輸入契約を解除されることになりました。Porsche AGの方針で仕方のないことかもしれませんが、その後、進行中の仕事含め、状況説明を求めても、梨の礫で本当にがっかりでした。今迄築き上げた信頼関係は何だったのかなあと本当に当時落胆しました。ドイツ人の場合よくある話です。東南アジアの人々の場合、殆ど考えられません。彼らとは仕事の縁が切れても、つきあいが続く事は普通にあります。

ミツワ自動車の輝く伝統を受け継ぎて、新たに興したポルシェジャパンは今日SUVを加え破竹の勢いですがミツワ自動車に依るポルシェのイメージ向上の尽力に感謝の念を忘れず、さらに頑張って頂ければポルシェファンとして望外の喜びです。

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